コカ・コーラは最強であり無敵

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熱狂するのは良いのか悪いのか

「熱狂」と言う言葉がありますよね

 

趣味に熱狂する

熱狂的なファン

勝利に熱狂した観衆

 

意味は「非常に興奮し熱中すること」です(デジタル大辞林

 

みなさんはこの「熱狂」と言う言葉に、プラスのイメージを持っていますか?

それともマイナスのイメージでしょうか?

 

先日、僕のツイッターのタイムラインは「wactha」の話題であふれていた。

 

さる先生の言葉を借りるとwactchaとは、教員の有志が集まり、好きなテーマを好きな形で発表しあうオープンソースのことだそう。先日東京で開催され、良くも悪くもいろんな反響があったみたい。

 

 

 

そんな中で、僕が気になったツイートがこれ

 シーフ先生のこのツイートは、何か勢いのある物事は発足したときに必ず出てくる意見だと思った。

 

新しい団体や、既存のグループには必ず中心となっている人物がいる。その人を中心に、周りにそのフォロワーが集まって団体になっていく。つまり、少なくともそのグループ内では中心人物の意見が助長され、優先されるのは当然のことだ。

 

それゆえに、その人物に歯止めをかけるものが仮にグループ内におらず、しかもそこに何らかの有害性がはらんでいた場合、その団体の枠を超えて多くの人に悪影響を及ぼすことは大いに可能性がある。

 

最たる例はオウム真理教地下鉄サリン事件だ。間違った意見がそれを信じ切る人々によって拡大され、東京メトロを地獄に変えた。

他、イスラム国・9.11など例を挙げればキリがない。

それを懸念したのがシーフ先生のツイートだろう。

 

 

よってシーフ先生の意見は間違っていない。

しかし、それだけが果たして真理かというとそうでもない。

新しい団体を自分の信念に従って立ち上げることは多くの場合良いことだし、それによって自分や仲間たちが成長できる。よって、新しい団体を立ち上げることは決して「悪」ではない。

 

問題は「自分の意見が『絶対的な正義』だと確信して疑わないこと」だ。

同様に、自分が所属する「団体」の意見も。

 

「世界の終わり」の「天使と悪魔」には以下の歌詞がある

www.youtube.com

悪魔と天使の世界でこちらが正しいとか あちらが間違ってるとか解らないんだ

「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい

正しさを主張するだけじゃ「答」じゃないんだ

 

自分の意見が正しいか、相手の言葉が正しいか。

そんなことは分からないし、そのそもどちらも間違っているかもしれない。 

 

では、そうならないためにどういう心構えが必要か。

それは、他者を知り、理解する努力をすることだ。

 

いかに自分の団体がすぐれているからと言って、ずっと自分の団体の中だけにいることは、リスクが高い。それ以外の考え方ができなくなってしまうからだ。

外に出ていって、他者を知り、理解しようとし、自分の中でかみ砕いて自分の意見と相談させ、少しずつ多様性を生み出していく。

 

赤一色の意見に青が加わり、緑が加わり、黄色が加わり、白が加わり・・・最終的に虹色になる。そのほうが、人間は魅力的だと思う。

 

 

熱狂は、悪いことじゃない。

好きなことに熱狂して、その流儀でいくらでも成長していけばいい。

ただ、他の流儀を知ることも大切だ。

 

 

なんだかんだ書いてきたけど、、、、

僕のこの意見も、実は赤一色なのかもしれない