授業を料理にたとえてみた
どうもこんばんは
あさひです
大学生になってから一人暮らしをしていて、
たまに友達の家に遊びに行きます
料理がめちゃくちゃ上手い友達がいて、
きっといい旦那さんになるだろうな〜と思いながら、晩ご飯をもらったりしてます
ちなみに、僕は料理は全くダメというか、そもそもしません笑
そんな僕ながら、今日は授業を料理にたとえてみたいと思います!
学校の授業を想像してみてください
生徒にあることを教える時、
①内容を先生が教える
②生徒が練習問題を解く
の繰り返しが基本です。
これは料理では、
今日習う内容(食材)がゴロゴロと転がっていて
①そのままでは食べられないので先生が料理して、生徒に食べさせてあげる
②今度は生徒が自分で料理して、食べてみる
ということになりそうですね
①の段階でもし先生の授業が感動的に上手い場合、クラスの多くの生徒が
「なるほど〜!!」と内容を理解します。
これをアハ体験といいます。
しかし、これだけでは足りません。
何故なら、
「理解する」ことと「(瞬時に)問題が解ける」ことは異なるからです。
テストでは目の前に食材が転がされて
「じゃ、料理して」
と言われるだけです。
授業で先生が料理してくれたものを食べただけでは、自分で料理は出来ません。
必要なことは、自分で料理できることです。
だからこそ、
「基礎基本が出来ること」
が非常に重要なんです
基礎基本が出来ることとは、
「カレー作って」
と言われたら瞬時にカレーを作るための食材や調理器具、調理法が思い浮かぶことです。
あとはその通りに手を動かせばいいですよね。
では、生徒はどうやったら基礎基本をマスター出来るでしょうか?
それは、②の
「生徒が自分で料理して、食べてみる」
ことですね。
今日学校で習った問題を、
家に帰ってもう一度解いてみる。
解法が瞬時に出て来るようになれば、完璧ですね。
逆に、もっとも危険なことは
学校で先生に教えてもらって、「分かった気」になることです。
学校では先生がそのままでは食べにくい食材を食べやすく料理してくれるから食べられます。
しかしテストでは、食材を目の前に置かれるだけです。
そのため、自分で料理してみることはめちゃくちゃ重要なんですね!
ちなみに…
この「分かった気」を繰り返していると、
もっと深刻な事態になることがあります。
学校の先生だって、生徒が「分かった表情」をしてくれたらとても嬉しいです。興奮物質のドーパミンがドパドパでます。
逆に、生徒も「分かった気」になっているのでとても興奮しています。
これが酷い場合、先生は生徒の「分かった顔」を見るためにひたすら「教え続ける」授業をします。
そうすることで、先生は自己の存在意義を確かめていきます。
生徒の方も「分かった気」になって先生のことを過剰にありがたがります。
このようなお互いの関係性に過剰に依存することを、「共依存」と言います。
そうするとますます先生は「教えること」しかしなくなり、生徒の「自分で解く」機会を失わせる悪循環に陥ってしまいます。
こういうことを避けるためにも、
生徒が自分で問題の解き方を調べて、
自分で問題を解けるように指導することが大切そうですね
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
色んな意見があると思いますので、ご意見ご感想ありましたら是非コメント欄で教えてください!